2024年8月6日

ここしばらく”8月6日”をどのように過ごす(または、どのように過ごすべき)かを考えていた。7:30自転車で市内へ向かう。川はいつも通りの川で、朝はあまり暑くない。いくつかの橋を渡り川を下っていくと原爆ドームが見えてくる。多くの警備と観光とデモ活動が混じり合い、とても近づけない。
横目で通りすぎ、縮景園近くの*世界平和記念聖堂へ向かった。8:15分の鐘と同時に到着。入り口でそのまま黙祷。中では「原爆とすべての戦争の犠牲者のためのミサ」が行われていた。
私はいわゆる無宗教者だが幼稚園は真宗大谷学園附属へ通い、小学生からは毎週日曜日教会へ通っていた。両親の教育方針には未だに不可解なことが多いが、とにかく私は祈ることに抵抗がない。お寺でも神社でも見境なく祈ることができる。
ミサの間ふと、私は祈ることを教えてくれた両親に感謝した。
この聖堂を教えてくれた親友を誇りに思った。
原爆資料館ではつらくて最後まで見ることができなかった、原爆ドームは建築の様子に感動してしまう、はだしのゲンは小学生の頃に何度も読んだ。今日私は何をどのようにしてこの広島で過ごせば良いかわからなかった。だから、こうして祈る場所があることに安心した。安心して祈った。
広島への転居が決まった時に親友が教えてくれたこの聖堂は村野藤吾氏の建築で随所に平和への祈りと日本が表現されており、キリストは磔にされておらず、穏やかな顔をしているように見える。私は何度か訪れているが、今日はミサの後にノートルダム清心女学校の高校生が聖堂の解説をしてくれた。入り口の門にあたるのは鳥居のようにも見え、聖堂の中のステンドガラスや光の差し込む小さな窓は、松竹梅のフォルムとなっている。天井から下がるランプはハスの花をモチーフとしており、これは建築現場に携わる人たちの中にはもちろん仏教徒もいるからという計らいだそう。屋根の上に鳳凰がいるのだが、ある場所からしか見えないようになっている。また、4つの大きな鐘はドイツからの寄贈であり、当時戦争の武器を造っていた工場で造られ、武器ではなく平和のための鐘を造ることを工場の人たちは喜んだそうだ。
誰も戦争なんてしたくない。
今私に在る平安な日々の意味を知った。
世界中の平安を祈る。

*世界平和記念聖堂
聖堂記
この聖堂は、昭和20年8月6日広島に投下された世界最初の原子爆弾の犠牲になられた方々の追憶と慰霊のために、また全ての国の人々の友愛と平和のしるしとして建てらました。
そして、この聖堂がずっと伝えていかなければならないものは、虚偽ではなく真実、権力ではなく正義、憎悪ではなく慈愛であり、これが人類に平和をもたらす神への道なのです。そのため、この聖堂を訪れ、ご覧になるすべての方々は、亡くなられた犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安のためにお祈りください。
昭和29年(1954)年8月6日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です